■-七十周年への歩み-■2/7頁
                                      園長 保泉欣嗣
70周年
特別コラム
シリーズ第1回
「ちるどらんど」
2005年9月号より
  私は、昭和15年から同18年3月の小学校入学前まで通園しました。
当時どこの家でも父は戦地へ、また商店や工場へ働きに、母親は家で足袋、被服の内職にミシンを踏んだり、和・洋裁の仕事に精一杯で家族全員で働いていました。各家庭には子どもも多くいました。幼児が家にいたのでは、家事も内職も思うようには捗らず、当時も保育園は地域社会には是非とも必要不可欠な施設でした。
 託児所へ通う全ての子どもたちは遠くから徒歩で、自転車の荷掛けに乗って、またリヤカーに近所の通園児が乗り合わせて通いました。町内にも近隣地域にも、託児所や保育園の無い時代でしたから、羽生や須加辺りからも電車やバスで通園する児童もいました。
 今と違って、給食などはありません。家人の手作り弁当を持って通園しました。小学校の高学年以上の兄姉のいる家では、彼らが小さな弟、妹たちのお弁当作りまで、家族の手伝いをしました。


                              -その3へ、つづきます-


                             

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