特別コラム
園長 保泉欣嗣
★その3
私が通園していた昭和16,7年頃に保育園で歌った歌詞を思い出します。そのひとつは、
♪わーたしは 良い子 いーつでも 良い子
いたずらせずに よく遊びましょ
わーたしは 良い子 いーつでも 良い子♪
ふたつめのものは、お帰りの時間になりますと、
♪これでおしまーい さよーうなら さよーうなら さよーうなら さよーうなら♪
という歌で、今に思いますと何ともシンプルな歌詞でした。60年も前の歌詞ですが、妙に歌の旋律<節>もハッキリ憶えています。
そうそう、もうひとつ思い出しました。
♪あの子は良い子 この子も良い子
良い子はお返事 ハイ ハイ ハイ♪
そんな歌でした。その頃の日本は戦時下で富国強兵が国策の柱とされ、産めよ増やせよの時代でしたから家々には兄弟姉妹いる家庭が一般的な家族構成でした。一軒の家に三世代家族が居住していました。
家にも託児所にも、暖房装置や器具などありません。せいぜい炭や練炭それに薪を燃料とする火鉢やコンロ、釜戸が炊事、湯沸しの必需品でした。厳冬期の子どもたちの手指はヒビ、霜焼け、アカギレで皮膚が冒されました。それでも丸坊主の男の子、おかっぱ頭の女の子たちは皆、頬っぺを赤くして元気に仲良く過ごしていました。
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